262, 思惑の行方

思わずエカテリーナは、傍らのアレクセイを見上げた。

兄の表情に変化はない。彼のことだ、エリザヴェータが一人で現れた時点で、こうなることを予想できていたのだろう。

そうですね……ここで皇子がエリザヴェータちゃんを、父親ゲオルギーのところへ送り届けたからといって、実際の情勢に影響があるわけではないんだもの。

ただ、こんな裏手になぜか大勢いる見物人の中で、皇子の方から歩み寄って挨拶してもらえて、ゲオルギーの面子が立ってあのおっさんがご満悦になるだけだろう。

それが、あちらの取り巻きが身の振り方を考える材料になったりはするだろうけど、大勢を変えるほどの影響はないはず。たぶん。

気にすることはない。

と言いつつ、やっぱり若干ムカついちゃいますけどね。

でも、まだ十歳のエリザヴェータちゃんに恥をかかせるとか、がっかりさせるとか、そんなの嫌だから。そしてそんな何かをすれば、子供をいじめることになって、ユールノヴァにとって恥にしかならないはずだから。

ここはせいぜい優雅に、皇子とエリザヴェータちゃんを見送るべきなんだろう。

そう思って、エカテリーナが二人に別れを告げようとした時。

ミハイルが言った。

「実は、僕ももう戻らなければならないんだ」

「ミハイル様も?どちらにお戻りになりますの?」

エリザヴェータが首を傾げる。ミハイルは微笑んだ。

「僕のクラスがやっている、模擬店のテントへ。クレープを出しているんだ。僕は、調理担当なんだよ」

「ちょうり……お料理、ですか?ミハイル様が、シェフをなさっておられますの!?」

「シェフというほどではないけどね。作って、食べてもらっているよ」

エリザヴェータの目はまんまるだ。公爵令嬢たるもの、料理は使用人の仕事であって、自分や自分の近しい人がそれをするというのは、発想からないことなのだろう。

これが正しい公爵令嬢なんだなあ……。

初めて料理を作って持っていった時、従僕のイヴァンに驚愕されたことを思い出して、遠い目になるエカテリーナであった。

そんなエカテリーナの耳に、ミハイルの言葉が届く。

「エリザヴェータ。せっかくの機会だから、君も僕の料理を食べてみないかい?ゲオルギー公は忙しそうだし。僕のクラスのテントで、甘いものでも食べながら時間を潰して、父君が社交を済ませて迎えに来てくれるのを待ってはどうだろう」

んん?

「ミハイル様の、お料理を、いただけるのですか?」

「うん。僕のお客様になってくれれば嬉しいよ」

その言葉に、エリザヴェータは瞳をキラキラ輝かせている。ミハイルに誘われて珍しい体験をする期待に、わくわくしている。

が、そこは公爵令嬢。エリザヴェータはためらいがちに言った。

「行きとうございます……お父様のお許しがあれば」

「そうだね。ただ、問題があって」

エリザヴェータへかがみ込んで、ミハイルは内緒話めかして言う。

「ゲオルギー公は、話が長いから。許可をもらいに行ったら最後、僕はきっと、交代の時間に遅れることになってしまうよ」

一瞬目を見張り、エリザヴェータは口を手で押さえてクスクス笑った。

そうかー、娘から見ても、ゲオルギーのおっさんは話が長いのかー。

うん、そんな感じはする。前世のお偉いさんでああいう自信家な感じの人はたいてい、演説で会議時間を食い潰してくれましたよ。

「僕と一緒なんだから大丈夫。ゲオルギー公には、伝言をしておけばいいだろう……誰かが、今の話をゲオルギー公に伝えてくれればありがたいけど」

ミハイルが呟くように言う。するとアレクセイが背後に視線を投げ、アレクセイの後ろに控えていた側近たちのうち、ノヴァクが咳払いした。

「私でよろしければ、お言葉をお伝えいたしましょう」

さすがロイヤル……ただ呟けば、周囲がその意向を実現すべく動く。実例を目の当たりにしております。

でもノヴァクさん、ユールマグナ派が固まっているあの一団に、乗り込むことになるけどいいんですか。……いいんだろうな。むしろイイ顔してるな、やる気満々だな……。

なんだろう、ただ伝言を伝えるだけじゃ済まなそう。あちらの面子を確認するとか、うちにもあちらにもいい顔している人をチェックするとか、他にもいろいろ私には解らないことで、ピンチをチャンスにして活用しそう。

……っていうか、皇子。

あちらの思惑には乗らない、ってこと、なの?

三大公爵家の当主が、見えるところに来ているのに。スルーしちゃって、いいの……?

「ありがとう、ノヴァク伯。アレクセイの家臣である貴君を使い立てするようで、すまないね」

「いえ。皇国の臣民として、お役に立てれば光栄に存じます」

そつのないミハイルの声かけに、ノヴァクは丁重に一礼する。

「では……エリザヴェータ。お手をどうぞ」

「はい」

すっと手を差し出されて、エリザヴェータは夢見心地な表情でその手に手を重ねた。……けれど普通のエスコートをしてもらうには、どうやら身長差が大きすぎるようだ。

するとミハイルは微笑んで、エスコートするのではなく、エリザヴェータの手をそっと握った。

「人が多いから、はぐれないようにしようね」

「……はい、ありがとう存じます」

エリザヴェータははにかんで微笑む。大人のようにエスコートして欲しかったけれど、手を握ってもらうのも嬉しい。そういう気持ちが、表れていた。

「エカテリーナは、これから君のクラスの教室に戻るのかな」

「いえ……直接、寮へ戻りますわ」

これだけ時間が経ってしまったから、教室へ集まったクラスメイトは背景や小道具の展示準備を進めていて、出演者は着替えるために寮へ移動したと思うし。先に着替えて衣装を持っていったほうが良さそう。

「では、私が寮まで送って行こう」

アレクセイが優しく言う。

そして手を差し出し、エカテリーナが重ねようとした手を、しっかりと握った。

――この時。

ミハイルが、ゲオルギーに視線を送った。

皇子らしく鷹揚な微笑みを浮かべて、うなずいて見せる。エリザヴェータのことは心配いらない、という風な、この状況ではまったく自然な表情だ。

だがわずかに……わずかに、目の光が冷たい。

エカテリーナはぞくりとした。

そうか。

これは、皇子が公爵家同士の争いに絡んでマグナよりノヴァを選んだ、なんていう話じゃないんだ。

エリザヴェータちゃんを誘い、丁重に接することで、周囲にはマグナへの配慮を知らせている。ノヴァだけに肩入れしているわけではない、両家の均衡を乱すことはしていない。

ただ。ゲオルギーは、やらかした。皇子たる、皇帝を継ぐ者たる彼を、自分の都合で動かそうとした。

皇子は、それを退けたんだ。

彼は、臣下を『動かす者』でなくてはならない。臣下に『動かされる者』であってはならない。

――僕は、お前に『使われる』つもりはない。

それを、告げるのではなく。

皇子ミハイルは。一切の波風を立てることなく、それを、示してみせたのだ。

你的回應