フリーズ。
ミハイルの言葉に、エカテリーナは固まった。
想定外!
……と、本人は思っている。が、舞踏会を来月に控えたこの時期だ。前々からの約束とはいえ、男子が女子を呼び出したなら、イコール舞踏会のパートナーになってほしいという申し込みのためと思っていい。
いつものエカテリーナなら、というか他のことなら、それくらい常識的に推察できただろう。しかし今は、本気で予想できていなかった。苦手分野であり、さらに最近、無意識に全力で目を逸らしていること。目を逸らしていることすら本人は気付いていないため、視界に穴が空いているかのような状態だ。
それが、突如として目の前に現れた。
わーん困る。
そうだよね、考えてみたら、当然だよ。私、公爵令嬢だもの。君がパートナーを探すなら、まず私に声をかけるのは当たり前。
全然、予想できてなかった私がおかしいよね!私のバカバカー!
気付いたようでズレている。自覚したようでしていない、無意識に自覚を避けているエカテリーナである。
そんな様子を見て、ミハイルが少し首を傾げていた。不審げというより沈んだ表情に見えて、それがいつぞやぶりに、首を傾げた憂い顔の犬を思い出させる。
君は蓄音器の前の犬かー!某社の商標かー!
どうしようどう返事しよう、とプチパニックを起こしているうちに、ふとエカテリーナの目に涙が浮かんだ。
「……わたくしは、おにいさまと、ごいっしょしとうございます」
幼げな声音、そして涙に、ミハイルがはっと息を呑む。我に返って、エカテリーナはあわてて涙を振り払った。
「その……お誘いいただきましたこと、まことにありがとう存じます。ただ、わたくし……兄と出席したく思っておりますの……」
ごめん。せっかく声をかけてくれたのに、ごめんよ皇子。
罪悪感で顔を上げられず、エカテリーナは自分の手に視線を落としている。
「兄アレクセイは、一度も舞踏会に参加したことがないそうですわ。家の仕事を担っているということで、一年生の頃からずっと、学園に願って特別に免除を受けていたと聞いております。わたくし、それを悲しく思ったのです。兄には、学園の生徒としての思い出が、あまりに少ないのではないかと……」
お兄様は、これからの人生のほとんどを、公爵家の当主として過ごすはず。その未来と、今現在と、あまりに違いがないのじゃないだろうか。
お祖父様が亡くなって、お兄様はわずか十歳にして、公爵家の実務を担う身になった。まだまだ子供だったのに、子供時代を奪われてしまった。
まだ責任を負わない猶予期間であるはずの、学生時代も仕事ばかり。いつか振り返った時に心を温めるような思い出が、お兄様にはあまりにも少ないと思う。
「兄は、それを当然と考えております。公爵家に生まれた者の務めだと……でも、わたくしをエスコートするためであれば、舞踏会に参加してくれますわ。学園の生徒でいる間だけできる経験を、ひとつ、胸に残すことが出来ましょう。
兄と共に参加できる機会は、今年限り。わたくしは、兄との思い出を、少しでも多く作りとうございますの」
「君らしいね」
ミハイルの声音は優しかった。
「アレクセイは強くて、心配いらないと皆が思ってしまうんだ。まあ、心配しても彼が受け付けない面もあるんだけど。でも君には……」
言葉を切って、ミハイルは少し考える。
「時々、アレクセイは君を甘やかしているつもりで、君に甘えているんじゃないかって気がしてる。だから、君がそうやって彼を気遣うのは、良いことだと思うよ」
おお!
皇子ありがとう!嬉しいこと言ってくれて、君ってほんとにいい奴だよ!
「でも」
アレ?
「あらためて、お願いがあるんだ。
アレクセイは今年度で卒業して、来年はもういない。だから来年の舞踏会では、僕のパートナーになってほしい」
ら、来年?
思わず、エカテリーナはまじまじとミハイルを見つめる。
一年先の予約って……なんか、『予約が取れない名店』みたいな感じなんですけど。あとなんだっけ、ちょっと前のことだけど、中小企業が開発した大人気の無水調理鍋とかがそんな予約状況だと聞いたような……。
いや、無水調理鍋は置いとくんだ自分。
えっと……来年になれば、確かにもうお兄様はいない。
わーん寂しい。
いや頑張れ自分。来年の舞踏会なら、お兄様がいないに加えて、乙女ゲームの悪役令嬢の出番は終わっている。ゲームの断罪破滅の時、制服姿のお兄様が一緒にいたんだから。そこは確かな記憶がある!
で……。
皇子の、パートナー?
ミハイルは、無言だ。真摯な表情で、エカテリーナの答えを待っている。
え、えっと……。
えっと……。
えーん、頭が回らないよう。
「わ、わたくしで、適いますならば……」
ぽろりとエカテリーナの口から出た言葉に、ミハイルの顔はぱっと輝いた。
わー!
ちゃんと考えないで、はずみでぽろりは駄目だろ!
なんか違うことみたいだし!
「エカテリーナ様」
心配そうにフローラに呼ばれて、脱線しまくっていたエカテリーナの思考はちょっと軌道修正した。
「で、ですけれど、それでは今年はいかがなさいますの?」
「うん、まあ、急に用事ができるんじゃないかな」
ミハイルは笑顔だ。が、エカテリーナは目を見開いた。
ええー!
「ミハイル様、そのような……」
「父上も、舞踏会に参加したのは三年生の時に一回だけだったそうだよ。だから、大丈夫」
いやでも、それは。
も、申し訳ない。君にも、君のファンの皆さんにも申し訳ない。君と一緒にイベントに参加できるって、貴族でも高位ではない家柄の子にとっては、すごく貴重な機会のはず。
でも、皇子のパートナー問題は確かに大きいんだろう。私以外っていうと、身分の釣り合いではリーディヤちゃん?でもこの間のいきさつから考えると、微妙なのか~。
ええ、どうしよう。お兄様と出たいと思うのは、わがままかしら。公爵令嬢の務めを果たすべき?わーん。
その時。
動揺しまくるエカテリーナを隣から心配そうに見ていたフローラが、決然とした表情で口を開いた。
「ミハイル様」